解放まもない朝鮮は ≪女性・朝鮮・歴史≫
1948年、解放まもない朝鮮は、米ソ冷戦により南・北に分断される。
南では男女平等権が憲法で保障されるが、父母の親権の内容差別などは、実質的に男女平等原則に背くものである。
新民法で男女差のある前近代的禁婚範囲が、李承晩政権の政治的要求により、拡大して規定されるが、韓国家庭法律相談所を中心に改正を求める女性運動が起こり、62年に続いて77年にも改正される。
また1970年代以降、女性労働者の生活権と人権を要求する闘いが進む。北では土地改革、労働法令・封建遺習残滓清算の法令などの制定と同時に、男女平等権法令が解放直後に公布・実施された。
土地改革では女性にも一定の土地が分与されたために女性の経済力が増し、労働法令により母性保護が確立した。同時期に戸籍制度廃止、公民の身分登録制への改定が行われ、18歳以上の全女性に公民証が交付される。
女性の社会的参加と教化を目ざした大衆的組織として女性同盟が結成され、1946年に第一次大会を開催する。
この時期に、以後50年間の女性政策のほとんどが規定されたといってもよいであろう。
しかし、朝鮮戦争の勃発した1950年に、男女平等権法令および施行細則で認められた協議離婚の権利は早くも後退し、軍務者対象の離婚請求訴訟不許可の特例が設けられたのに続き、56年には協議離婚が廃止され、裁判での離婚だけが認められるようになった。
61年には全国母親大会が開催され、伝統的な女性の役割が強調され、出産奨励策も推進されたが、78年からは産児制限政策に変わる。
女性の社会参加を支えるために1967年内閣に幼稚園指導局が設置され、76年には児童保育教養法が制定されたが、社会的活動と家庭での伝統的な役割を期待される北の女性は、二重の負担を負っているといえるだろう。
南では男女平等権が憲法で保障されるが、父母の親権の内容差別などは、実質的に男女平等原則に背くものである。
新民法で男女差のある前近代的禁婚範囲が、李承晩政権の政治的要求により、拡大して規定されるが、韓国家庭法律相談所を中心に改正を求める女性運動が起こり、62年に続いて77年にも改正される。
また1970年代以降、女性労働者の生活権と人権を要求する闘いが進む。北では土地改革、労働法令・封建遺習残滓清算の法令などの制定と同時に、男女平等権法令が解放直後に公布・実施された。
土地改革では女性にも一定の土地が分与されたために女性の経済力が増し、労働法令により母性保護が確立した。同時期に戸籍制度廃止、公民の身分登録制への改定が行われ、18歳以上の全女性に公民証が交付される。
女性の社会的参加と教化を目ざした大衆的組織として女性同盟が結成され、1946年に第一次大会を開催する。
この時期に、以後50年間の女性政策のほとんどが規定されたといってもよいであろう。
しかし、朝鮮戦争の勃発した1950年に、男女平等権法令および施行細則で認められた協議離婚の権利は早くも後退し、軍務者対象の離婚請求訴訟不許可の特例が設けられたのに続き、56年には協議離婚が廃止され、裁判での離婚だけが認められるようになった。
61年には全国母親大会が開催され、伝統的な女性の役割が強調され、出産奨励策も推進されたが、78年からは産児制限政策に変わる。
女性の社会参加を支えるために1967年内閣に幼稚園指導局が設置され、76年には児童保育教養法が制定されたが、社会的活動と家庭での伝統的な役割を期待される北の女性は、二重の負担を負っているといえるだろう。
update:2010年02月24日
